






明治の高等教育機関は、明治19年(1886)の帝国大学令に基づき全国を五つの学区に分け、それぞれ一高(東京)、二高(仙台)、三高(京都)、四高(金沢)、五高(熊本)に「高等中学校」が設けられた。その後明治27年(1894)には制度が代わり「(旧制)高等学校」になり、戦後の学制改革でそれぞれ大学となった。これに帝国大学の話が絡むから戦前の教育システムは毎度の事ながら混乱するが、四高は当時全国に七校しか無かった地方の最高学府の1つという認識で良いだろう。本科の学生は東京帝大への進学があった。
そんな明治の教育制度黎明期の校舎が今も残っている。高等中学校時代のものはここと熊本しか現存していない(旧制高校時代のものなら沢山あるが……)
煉瓦の壁面に屋根は寄棟造の瓦葺で和風というこの時代特有の和洋折衷である。窓枠部分には白煉瓦を用いてアクセントを加えている。