No.00276日本基督教団若草教会

1891年竣工のものを戦後に移築している。L字型の平面は珍しい。
これまで訪れ、撮影した近代建築の記録です。理想のUIを求めて作りました。記事の訂正追記等は気軽にコメントしてください。メニューから様々な条件で検索することも可能です。

1891年竣工のものを戦後に移築している。L字型の平面は珍しい。

にし茶屋街の芸妓たちの稽古場や事務所を兼ねていた建物。茶屋街の建物は和の趣が強いものが多かった中、何故かゴリゴリの洋風建築である。 唐草模様の装飾の入る玄関ポーチにはバージボードがついている。

木造3階建ての大規模な料亭建築。木造3階の圧は凄いが元は2階建てだったものを増築した。明治〜大正期は木造建築も高層化しており、流行りに乗ったものであるが現存例は大変貴重である。 ちなみにここにも群青の間がある。

金沢市の水道が大正期に一気に整備されたことが分かる。

犀川大橋の近くに扁額が残る。見つけるのは大変。

現在は金沢市立泉中学校の敷地に残されている。元は師範学校の建物で、1914年に当地に移転し15年に新校舎落成式を行っているのでその頃のものと思われる。(便宜上1914年竣工とした) アール・ヌーヴォーの有機的曲線の持ち送 … 続きを読む

全4車線、橋長62mのワーレントラス橋。鋼鉄の骨組みと金箔も使われた橋名額が工業的な美しさを誇る。関東大震災後の橋で、国産だけでは鋼鉄を賄えなかったため一部に英国産を用いている。 犀川は金沢市街地の西側を流れる河川であり … 続きを読む

男爵横山隆平の弟、隆興が迎賓館兼別荘として建てた近代和風建築と庭園。江戸時代は加賀八家、維新後は鉱山業で財を成した横山家の青天井予算で造営されており、庭園は七代目小川治兵衛によるものである。(ちなみに内装は前田家特有のラ … 続きを読む

2階までぶち抜きの出窓、窓の格子のデザイン、サンルームなど昭和初期の洋風住宅の趣を強く残している。

市街地唯一の板葺き石置き屋根の町家。江戸末期のものなので厳密に近代建築とは言えないがインパクト大なので載せることとした。

近隣にしか卸さない酒蔵。御所泉などで知られる。明治期の建物であり、明治11年(1878)の竣工。その後明治31年(1898)にも増築。

同名の学校法人が隣接しているため創業者宅と思われる。単調な白壁にならないように、コーナーにタイルを置いている。

創業者の名前を冠してヘッセル館と呼ばれているが検索しても情報の出てこない謎の施設。ヴォーリズっぽさがある。

覆馬場とは、屋内型の馬教練場である。煉瓦の躯体に大きな切妻屋根を乗せ、壁面に段差状のバットレスをもつ陸軍の覆馬場は全国各地にあり(旭川、盛岡、弘前(解体済))、共通の設計図があったと思われる。

現在は金沢駐屯地の敷地になっているため、見学は事前申請が必要である。尚古館として明治時代からの軍服や銃などを展示している。正面は木造下見板張りで直線的な玄関棟がつく。

末浄水場の近代以降は片っ端から国登録有形文化財になっており、敷地内に12件ある。

末浄水場は今も多くの近代建築が残る。これは入口から目立つ位置にある。直線的な庇や丸窓で構成されたアール・デコ調のデザイン。

橋上から見ると普通の橋だが、側面を見るとなんと驚きのイギリス積みレンガアーチ。橋上は改修されつつもそれ以外は殆ど変わっていないのだろう。この橋を現存最古の道路用レンガ橋としている記事もあるが、現役の車道橋として東京都福生 … 続きを読む

現在は石川県立金沢桜丘高校の三桜会館として玄関部分のみが保存されている。三中開校当初の遺構だったが新校舎建造の際に大部分を解体。卒業生らの強い要望により、校舎の一部に無理やり玄関部分を移築する形で残された。 垂直性を強調 … 続きを読む

森本〜津幡駅間にある近代和風建築。大規模な金沢町家で妻面を大きく見せる。 現地で知ったが、八田與一の生家でもある。台湾に当時世界一の大きさだった烏山頭ダム(八田ダム)を建て、対戦期に台湾行きの客船が撃沈し殉職した悲劇の技 … 続きを読む

金石地区にある木造の醤油工場群。見学ができる。閑静な観光スポットである。

市内では恐らく唯一の木造小学校校舎。山奥にある。

日本海側の小さな町内灘町には、かつて宝塚遊園のような巨大アミューズメントパークがあった。材木王平沢嘉太郎が私財を投げ打って大劇場、温泉、動物園などを作ったのである。平沢は浅野川電鉄の社長でもあり、阪急や西武の鉄道と観光地 … 続きを読む

創業嘉永6年(1853)。建物は大正期あたりに建てられたか後ろを増築していると思われる。金石地区の景観を作る貴重な建物である。

金石地区に残る廻船問屋商の屋敷。

煉瓦倉庫が続く。現在は金沢市民芸術村として使われている。建てられたのは1923-27年である。

この辺りには金沢紡績(後の大和紡績)の巨大な工場群があった。1919年に開業し、23-27年にかけて用地を取得して工場棟を整備していったが、1993年に廃業。その後市が取得して金沢市民芸術村として整備された。下見板張りの … 続きを読む

下見板張りに大きな寄棟屋根を乗せ、矩形の窓が連続する。昭和初期の洗練された木造近代建築であるが窓の位置が高くバランスが悪い。玄関周りのデザインがモダンである。村役場にしては大きい。

金沢市の海側、金石地区の近代建築。鉄筋コンクリート造でセセッションやアール・デコの影響を強く受けた斬新なデザインをしている。2階正面の蛇腹の柱飾りや、玄関の飛び出した柱頭装飾など独自路線が過ぎている。柱頭だけ飛び出してる … 続きを読む

金沢城の石垣にどデカく開けられた煉瓦トンネル。とにかく大きい。当然ながら石垣は貴重な文化財であり、現代の感覚では暴挙としか言えない大穴だが、当時は保護の感覚も薄かったのだろう。今では逆にこの穴が文化財になるのだから不思議 … 続きを読む

陸軍の施設。切妻屋根、ルネサンス風の庁舎は明治期陸軍のあるあるで全国に類例が残る。テンプレがあったのだろう。 城内に陸軍が駐屯したケースは多く(藩主なき後の広大な敷地をもつ元軍事用地だから大変合理的である)、金沢には明治 … 続きを読む

尾山神社創建当初の遺構。本殿など創建時の建物は伝統的な様式だったがこの玉垣だけは何故か煉瓦造であり、神門の布石だと言われている。 なお、公式サイトによるとこれが県内初の煉瓦使用例になるそうだ。

神社の門として建てられた、擬洋風建築の山門である。和漢洋折衷の、特異な外観の存在感は凄まじく、近代建築抜きに金沢観光の目玉になっている。 尾山神社は明治6年に藩祖前田利家を祀るために創建された比較的新しい神社であり、前例 … 続きを読む

リフォームにより新しい建物に見えるが、細長いの窓のデザインや瓦屋根から看板建築だったことが伺える。 この辺りはやたら看板建築が残されており、玉さく旗幕商会、山崎太可堂薬局、とっくりやと4軒まとめて50mも無いところに密集 … 続きを読む

正面は地味だが側面(南北側道路面)は半円アーチ状のパラペットを立ち上げ、銅板張りにしている。

事前の調査リストには無かったもの。モダンな趣が強い看板建築で石積み風の筋彫りが入っている。玉さく旗幕商会の近くにある。

現在は飲食店の焼肉千鳥になっている。ストリートビューを追う限り、2018年頃に廃業している。

現在は金沢市立図書館別館として使われている煉瓦造の工場棟。

元は明治期の町家を昭和初期に増築。キーストーン風の装飾がやたら大きい。

最近の建材で外観を覆われており往時の看板建築装飾は隠れている。が、足元に僅かに痕跡が見える。

アールのついた洋館部分が見える。

正面に鐘楼塔を置き奥に広く三廊式バシリカを設ける本格的なカトリック教会。来訪時(2021年夏)は工事中だった。

現在は金沢学生のまち市民交流館として市の管理となっている。元は藩士の流れを汲む資産家佐野久太郎氏の邸宅であり、立派な襖絵などが残っている。近代和風建築の1つであり蔵風の建物はよく見るとガラスを使っておりモダンである。