No.00326旧旭東幼稚園園舎

江川三郎八建築の1つ。岡山市立中央図書館の近くに移築されている。八角形の遊戯室を中央に配置し、そこから放射状に保育室が延びる独特な平面配置。梅鉢型園舎と呼ばれ、全国各地で流行した。その開祖と呼べる建築である。外観はハーフ … 続きを読む
これまで訪れ、撮影した近代建築の記録です。理想のUIを求めて作りました。記事の訂正追記等は気軽にコメントしてください。メニューから様々な条件で検索することも可能です。

江川三郎八建築の1つ。岡山市立中央図書館の近くに移築されている。八角形の遊戯室を中央に配置し、そこから放射状に保育室が延びる独特な平面配置。梅鉢型園舎と呼ばれ、全国各地で流行した。その開祖と呼べる建築である。外観はハーフ … 続きを読む

創業当初の社屋。現在はおかでんミュージアムとして使われている。

現岡山県立岡山朝日高校の敷地に残る旧制六高の遺構。1枚目の右側が東書庫。隣接する西書庫は後年のものである。切妻屋根の桟瓦葺で外壁はモルタル。

現岡山県立岡山朝日高校。旧制高校の中でも校名が数字のナンバースクールは全国に8校しかないが、唯一現代の高校が校地を引き継いでいる例。東京の一高は東大駒場、二高は東北大といった具合に、旧制高校は多くが現代の大学に引き継がれ … 続きを読む

京橋と併置されている水道管。明治37年(1904)の完成で、岡山市は翌明治38年から上水道を開通しているので県内最初期の水道施設であるとともに、県内最古の鋼トラス橋、全国最古の鋼製水管橋である。この橋ができた頃は京橋は先 … 続きを読む

コロニアル様式の洋館。金沢の近代建築、何もかもが揃いすぎである。 現北陸学院の創設者、メリーヘッセルを招聘したアメリカプロテスタントの宣教師トーマス・ウィン自らが設計した宣教師館である。ウィンは県中学師範学校の教授として … 続きを読む

急勾配で色違いの尖塔を左右におき、中央には大きな三角屋根を置いたことから「三尖塔校舎」と呼ばれていた。飾りとして三角屋根を親の仇の如く配置し、小庇は二重になっており、妻飾りや玄関ポーチには透かし彫りが施されている。木造の … 続きを読む

現石川県立歴史博物館。3棟からなる大きな煉瓦造の倉庫。竣工年は1909-1914。

陸軍将校のための厚生社交クラブ会館。師団のある全国各地に建てられたが現存例はそう多くない。弘前や善通寺、岡山、旭川、豊橋などに遺されている。 社交クラブの側面からか、陸軍施設の中でも特に華やかかつ大型な施設になりがちで重 … 続きを読む

明治期の陸軍が特に好んだ、三角破風を多用したルネサンス風の木造庁舎である。師団レベルとなると流石に大きい。同年竣工の第十一師団司令部庁舎(香川県善通寺市)とほぼ同様のデザインである。 元は金沢城内にあったが、2度の移築を … 続きを読む

本部長は県警の一番偉い人。何故か金沢大学鶴間キャンパスの一角に移築されている。 和洋折衷の外観で、洋館部分は下見板張りでバージボードを設けている。明治期の和洋折衷住宅として完成度の高い文化財だが、2025年度に解体保存さ … 続きを読む

やたら綺麗だが復元したもののようだ。現在の金沢医科大学は私立校だが、旧制金沢医科大学は官立の学校で現金沢大学医学部である。全くの無関係であり、ややこしい。

1891年竣工のものを戦後に移築している。L字型の平面は珍しい。

木造3階建ての大規模な料亭建築。木造3階の圧は凄いが元は2階建てだったものを増築した。明治〜大正期は木造建築も高層化しており、流行りに乗ったものであるが現存例は大変貴重である。 ちなみにここにも群青の間がある。

近隣にしか卸さない酒蔵。御所泉などで知られる。明治期の建物であり、明治11年(1878)の竣工。その後明治31年(1898)にも増築。

現在は金沢駐屯地の敷地になっているため、見学は事前申請が必要である。尚古館として明治時代からの軍服や銃などを展示している。正面は木造下見板張りで直線的な玄関棟がつく。

橋上から見ると普通の橋だが、側面を見るとなんと驚きのイギリス積みレンガアーチ。橋上は改修されつつもそれ以外は殆ど変わっていないのだろう。この橋を現存最古の道路用レンガ橋としている記事もあるが、現役の車道橋として東京都福生 … 続きを読む

森本〜津幡駅間にある近代和風建築。大規模な金沢町家で妻面を大きく見せる。 現地で知ったが、八田與一の生家でもある。台湾に当時世界一の大きさだった烏山頭ダム(八田ダム)を建て、対戦期に台湾行きの客船が撃沈し殉職した悲劇の技 … 続きを読む

金石地区に残る廻船問屋商の屋敷。

金沢城の石垣にどデカく開けられた煉瓦トンネル。とにかく大きい。当然ながら石垣は貴重な文化財であり、現代の感覚では暴挙としか言えない大穴だが、当時は保護の感覚も薄かったのだろう。今では逆にこの穴が文化財になるのだから不思議 … 続きを読む

陸軍の施設。切妻屋根、ルネサンス風の庁舎は明治期陸軍のあるあるで全国に類例が残る。テンプレがあったのだろう。 城内に陸軍が駐屯したケースは多く(藩主なき後の広大な敷地をもつ元軍事用地だから大変合理的である)、金沢には明治 … 続きを読む

尾山神社創建当初の遺構。本殿など創建時の建物は伝統的な様式だったがこの玉垣だけは何故か煉瓦造であり、神門の布石だと言われている。 なお、公式サイトによるとこれが県内初の煉瓦使用例になるそうだ。

神社の門として建てられた、擬洋風建築の山門である。和漢洋折衷の、特異な外観の存在感は凄まじく、近代建築抜きに金沢観光の目玉になっている。 尾山神社は明治6年に藩祖前田利家を祀るために創建された比較的新しい神社であり、前例 … 続きを読む

元は明治期の町家を昭和初期に増築。キーストーン風の装飾がやたら大きい。

正門横にある下見板張りでノコギリ状の軒飾りがある守衛所。本館と同時期と思われるが数度の移転を経て現在地に至っている。 写真は2021年のものだが、ここから改修され綺麗になり、更に文化財にもなった。

明治の高等教育機関は、明治19年(1886)の帝国大学令に基づき全国を五つの学区に分け、それぞれ一高(東京)、二高(仙台)、三高(京都)、四高(金沢)、五高(熊本)に「高等中学校」が設けられた。その後明治27年(1894 … 続きを読む

銀行建築としては珍しい和風建築の外観。入母屋屋根や黒漆喰の外観は他の和風建築と比べても存在感があることは分かる。内装は銀行建築らしくルネサンス風の窓枠、大きな半円アーチの壁、洋式の格天井など完全に洋風。近代建築の和洋折衷 … 続きを読む

元々は金沢地検検事正の官舎があったが、そこに高峰譲吉博士(主な功績にアドレナリンの創製)の生家を移築して繋げるという謎の整備をされた公園。公開施設だが訪問時は閉まっていた。ちなみに官舎自体も兼六園にあったものを道路工事の … 続きを読む

ひがし茶屋街を形成する金沢町家の1つ。

ひがし茶屋街の裏通りにある。和洋折衷の造りで玄関棟だけ郵便局のような洋風下見板張りにしている。

往来の激しい国道159号線から丸見えという好立地にありながら、何故か朽ち果てた状態で時を刻む明らかに明治期の洋館。元は病院。存在感が凄い。

明治大火(1906)の翌年には再建されたとある。直江津銀行そのものは大正4年(1915)に解散したが海運業の高橋回漕店が土地と建物を取得し曳家によって現在に至る。銀行時代のカウンターや屋根の装飾、金庫と、高橋時代の瓦装飾 … 続きを読む

明治期の蔵をリノベした物件。

現在はレストランとして使われる公開施設。1910年に師団長に着任した長岡外史の指示で建設された洋風の大規模な官舎である。他の師団長官舎(弘前と豊橋)と比べデカ過ぎる。 下見板張り、スティックスタイル様式で内部は和洋折衷。 … 続きを読む

日本最古級の映画館。元は芝居小屋の高田座だったが、大正5年(1916)には映画館に転用、現在も上映を続ける。

元は牛肉を扱う販売、洋食店であり内部には食堂が設けられていた。

現相川郷土博物館。撮影後に改修され綺麗になった。手前の棟は1887年に鉱山事務所として建てられ、後に後方に御料局佐渡支庁として1896年に増築された。 佐渡金山は明治時代は皇室領だったため、宮内省御料局が管理していた。そ … 続きを読む

現在は佐渡版画村美術館として公開施設。裁判所と聞くと民事裁判や刑事裁判のイメージが強いが、ここでいう裁判所とは、「明治新政府が戊辰戦争最中に天領(幕府直轄領)に新たに設けた行政府」であり、奉行所に近いものである。……のだ … 続きを読む

日清戦争(1894)における島民の戦没者40余名のための施設。内外の揮毫に勝海舟、東郷平八郎、大山巌、吉田晩稼とやたらビックネームが集う他、天井には世界地図が描かれているという。 ここまでやってくれたら明治の人達も浮かば … 続きを読む

驚きの明治初期の官舎であり、現在も自衛隊駐屯地の敷地内にある。明治初期の旧軍現存施設とか他にあるのか……?設計は堀江佐吉とするブログもある。この角度では分からないが正面にはむくり屋根の入口や菊の御紋があったりする。青森県 … 続きを読む

2021年当時は修復中だった。

大湊要港部の艦船補給用水のために造られた、東北地方初の近代水道施設。明治末期に初事例な辺り、藩閥が幅を利かせた明治政府の東北地方への認識がアレだとしか言えない。 設計は海軍技師時代の桜井小太郎である。

競走馬を飼育していた老舗牧場。2006年に閉鎖されたものの、戦前〜戦後期に東京ダービーの優勝馬を輩出するなど本州の名門ファームだった。現在は金子ファームという畜産牧場になっている。 この建物は敷地内最古の施設で、茅葺き屋 … 続きを読む

現在は櫛引八幡宮の境内に移築され、明治記念館として公開されている。 明治天皇の行在所としても使われた当時最新の洋館で、下見板張り、色ガラス、オーダー装飾や軒蛇腹など見所は多い。 弘前の鏡ヶ丘記念館が県内最古のを謳っている … 続きを読む

明治の遊郭の趣を伝える建物。この一帯は小中野新地があった。現在もやたら道幅の広い道路に名残が残っている。 新むつ旅館として営業しており当時宿泊しようと電話したが繋がらず、後に女将の体調不良と直後の逝去が分かった。現在は閉 … 続きを読む

明治土蔵館として公開している。築115年らしいがいつからなのかが分からない。ここでは1905年とみている。

用途が全く分からないが墓所の前にある洋風屋根の何か。

2度の移築を受けて現存している。どう見てもバランスが悪いが元の建物の2階、3階、塔屋の部分のみに減築した上で玄関ポーチを付けているので仕方ない。