No.00175旧第13師団長官舎

現在はレストランとして使われる公開施設。1910年に師団長に着任した長岡外史の指示で建設された洋風の大規模な官舎である。他の師団長官舎(弘前と豊橋)と比べデカ過ぎる。 下見板張り、スティックスタイル様式で内部は和洋折衷。 … 続きを読む
これまで訪れ、撮影した近代建築の記録です。理想のUIを求めて作りました。記事の訂正追記等は気軽にコメントしてください。メニューから様々な条件で検索することも可能です。

現在はレストランとして使われる公開施設。1910年に師団長に着任した長岡外史の指示で建設された洋風の大規模な官舎である。他の師団長官舎(弘前と豊橋)と比べデカ過ぎる。 下見板張り、スティックスタイル様式で内部は和洋折衷。 … 続きを読む

日清戦争(1894)における島民の戦没者40余名のための施設。内外の揮毫に勝海舟、東郷平八郎、大山巌、吉田晩稼とやたらビックネームが集う他、天井には世界地図が描かれているという。 ここまでやってくれたら明治の人達も浮かば … 続きを読む

驚きの明治初期の官舎であり、現在も自衛隊駐屯地の敷地内にある。明治初期の旧軍現存施設とか他にあるのか……?設計は堀江佐吉とするブログもある。この角度では分からないが正面にはむくり屋根の入口や菊の御紋があったりする。青森県 … 続きを読む

2021年当時は修復中だった。

旧海軍水交社。陸軍でいう所の偕行社にあたる組織だがいまいち知名度は低い。 それにしても大湊要港部は石造りに並々ならぬ拘りがある。

何故かこちらは北の防人大湊弐番館として市の交流センターとして活用されており綺麗に整備されている。

全国的にも大変貴重な石造りの旧軍官舎。現在は北の防人大湊壱番館として隣の同意匠の弐番館とともに整備されているが、何故かこちらだけ廃墟化しており市の情報でも活用の道が見えていない。 2025年5月には近隣の建物火災に巻き込 … 続きを読む

大湊の軍港を一望できる水源地公園の近くにある洋風住宅。竣工年不明だが、明治末期に大湊が軍港化したこと、周囲の官舎が大正初期なことからこの建物も大正初期と推定。

軍都弘前に本拠地を置いた第八師団の長官舎。戦後は市長公舎として使われ、現在はスタバとして使われている。市長公舎になった際に建物の2/3は解体されているようだが、恐らく和館部分なのだろう。

現在は弘前三中の門として使われている。

どう見てもプレハブ小屋のKUMONにしか見えないが、よく見ると煉瓦の土台になっている。

戦後に発明されたブナの木の加工品「ブナコ」を扱う会社になっている。かなり縦長の施設であり、工場転用は理にかなっている。

米を保管していた倉庫。

偕行社の近くに並ぶ2棟の洋館。将校官舎と言われている。かつては11棟もあったという。 東奥日報

偕行社は陸軍将校の社交場で、全国に数例残されている。こちらはかなり大きい建物であり価値は高い。堀江佐吉の遺作でもある。公開施設。

弘前は第八師団を擁する軍都であった。竣工年は不明だが、これらは官舎と推測される。