No.00302旧ウィン館

コロニアル様式の洋館。金沢の近代建築、何もかもが揃いすぎである。 現北陸学院の創設者、メリーヘッセルを招聘したアメリカプロテスタントの宣教師トーマス・ウィン自らが設計した宣教師館である。ウィンは県中学師範学校の教授として … 続きを読む
これまで訪れ、撮影した近代建築の記録です。理想のUIを求めて作りました。記事の訂正追記等は気軽にコメントしてください。メニューから様々な条件で検索することも可能です。

コロニアル様式の洋館。金沢の近代建築、何もかもが揃いすぎである。 現北陸学院の創設者、メリーヘッセルを招聘したアメリカプロテスタントの宣教師トーマス・ウィン自らが設計した宣教師館である。ウィンは県中学師範学校の教授として … 続きを読む

金沢市立中村記念美術館の中に遺されている出桁造りの町家。中村記念美術館を創立した中村栄俊の父栄助が建てた住宅。

武家住宅のひとつ。

本部長は県警の一番偉い人。何故か金沢大学鶴間キャンパスの一角に移築されている。 和洋折衷の外観で、洋館部分は下見板張りでバージボードを設けている。明治期の和洋折衷住宅として完成度の高い文化財だが、2025年度に解体保存さ … 続きを読む

ハーフティンバー調、白下見板張りの洋館。元は旧制金沢医科大学(現金沢大医学部)の学長須藤憲三の自邸として建てられた。須藤のドイツ留学の経験が活かされた最新の洋式住宅である。

木造3階建ての大規模な料亭建築。木造3階の圧は凄いが元は2階建てだったものを増築した。明治〜大正期は木造建築も高層化しており、流行りに乗ったものであるが現存例は大変貴重である。 ちなみにここにも群青の間がある。

男爵横山隆平の弟、隆興が迎賓館兼別荘として建てた近代和風建築と庭園。江戸時代は加賀八家、維新後は鉱山業で財を成した横山家の青天井予算で造営されており、庭園は七代目小川治兵衛によるものである。(ちなみに内装は前田家特有のラ … 続きを読む

市街地唯一の板葺き石置き屋根の町家。江戸末期のものなので厳密に近代建築とは言えないがインパクト大なので載せることとした。

金石地区に残る廻船問屋商の屋敷。

現在は金沢市立図書館別館として使われている煉瓦造の工場棟。

現在は金沢学生のまち市民交流館として市の管理となっている。元は藩士の流れを汲む資産家佐野久太郎氏の邸宅であり、立派な襖絵などが残っている。近代和風建築の1つであり蔵風の建物はよく見るとガラスを使っておりモダンである。

石黒ビルに隣接する江戸期の商屋。石黒ファーマシーの前身、石黒薬局の建物である。厳密には近代建築ではないので全ては扱わないが、石黒の歴史を今に伝える貴重な文化財である。それにしても金沢は都市の発達が激しい地であるにも関わら … 続きを読む

元は糸卸業。モルタルで蛇腹を連続させた壁面を1階や隅に配置する異色のデザイン。全面ではなく部分的に採り入れ、水平性を意識させているのが最高に素晴らしい。

交差点に合わせてアールをつけ、正面部分に装飾をゴテゴテにつける。全国でたまに見かける様式だが現存している例は少ない。 元は輸入商の店舗で、かなりハイカラな印象を受ける。隅で喫茶店を営業している。

現在は金沢文芸館として公開施設。元は銀行建築であり、高岡銀行、加州相互銀行、石川銀行として行名を変えながら使われてきた。(文化遺産としては「旧石川銀行橋場支店」) ネオルネサンス様式を基調にしながらイオニア式の柱で飾る。 … 続きを読む

ひがし茶屋街を形成する金沢町家の1つ。

田上診療所の住宅部分。こちらの方が1年早い。

自宅兼診療所。タイルで様々な色彩や文様を作っているモダンな作り。施主はドイツ留学後に細かく口出ししたようで、当時流行っていたユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォーのドイツ版)の影響を強く受けている。

江戸末期の金沢町家。金沢町家の特徴として、2階に大きい風返しがついている。現在はひがし茶屋休憩館として公開されている。

明治大火(1906)の翌年には再建されたとある。直江津銀行そのものは大正4年(1915)に解散したが海運業の高橋回漕店が土地と建物を取得し曳家によって現在に至る。銀行時代のカウンターや屋根の装飾、金庫と、高橋時代の瓦装飾 … 続きを読む

現在はレストランとして使われる公開施設。1910年に師団長に着任した長岡外史の指示で建設された洋風の大規模な官舎である。他の師団長官舎(弘前と豊橋)と比べデカ過ぎる。 下見板張り、スティックスタイル様式で内部は和洋折衷。 … 続きを読む

現在は高田まちかど交流館として公開施設。

現在は佐渡版画村美術館として公開施設。裁判所と聞くと民事裁判や刑事裁判のイメージが強いが、ここでいう裁判所とは、「明治新政府が戊辰戦争最中に天領(幕府直轄領)に新たに設けた行政府」であり、奉行所に近いものである。……のだ … 続きを読む

日清戦争(1894)における島民の戦没者40余名のための施設。内外の揮毫に勝海舟、東郷平八郎、大山巌、吉田晩稼とやたらビックネームが集う他、天井には世界地図が描かれているという。 ここまでやってくれたら明治の人達も浮かば … 続きを読む

何故かこちらは北の防人大湊弐番館として市の交流センターとして活用されており綺麗に整備されている。

全国的にも大変貴重な石造りの旧軍官舎。現在は北の防人大湊壱番館として隣の同意匠の弐番館とともに整備されているが、何故かこちらだけ廃墟化しており市の情報でも活用の道が見えていない。 2025年5月には近隣の建物火災に巻き込 … 続きを読む

旧大湊ホテル。海軍の要人のためのホテルとして使われていた。

弘前の街中にしれっとあるやべーやつ。角三宮本呉服店として建てられ、大正期には銀行として使われた。後から銀行が使う珍しいケース。弘前市内最古の洋館で、現在は市立展示館として公開されている。

太宰治まなびの家として公開されている。太宰治が旧制弘前高校に通っていた3年間、下宿していた家である。当時の太宰は18-21歳。この間に太宰は芥川龍之介の自殺に大きなショックを受けたり、テスト前日にカルモチンを用いて初の自 … 続きを読む

北前船で財を成した豪商の邸宅。幕末から明治期にかけて増築された。公開施設。主屋は明治13年の大火の直後の竣工としている。 参考 公式サイト