No.00177旧直江津銀行

明治大火(1906)の翌年には再建されたとある。直江津銀行そのものは大正4年(1915)に解散したが海運業の高橋回漕店が土地と建物を取得し曳家によって現在に至る。銀行時代のカウンターや屋根の装飾、金庫と、高橋時代の瓦装飾 … 続きを読む
これまで訪れ、撮影した近代建築の記録です。理想のUIを求めて作りました。記事の訂正追記等は気軽にコメントしてください。メニューから様々な条件で検索することも可能です。

明治大火(1906)の翌年には再建されたとある。直江津銀行そのものは大正4年(1915)に解散したが海運業の高橋回漕店が土地と建物を取得し曳家によって現在に至る。銀行時代のカウンターや屋根の装飾、金庫と、高橋時代の瓦装飾 … 続きを読む

現在はレストランとして使われる公開施設。1910年に師団長に着任した長岡外史の指示で建設された洋風の大規模な官舎である。他の師団長官舎(弘前と豊橋)と比べデカ過ぎる。 下見板張り、スティックスタイル様式で内部は和洋折衷。 … 続きを読む

現在は高田まちかど交流館として公開施設。

現在は佐渡版画村美術館として公開施設。裁判所と聞くと民事裁判や刑事裁判のイメージが強いが、ここでいう裁判所とは、「明治新政府が戊辰戦争最中に天領(幕府直轄領)に新たに設けた行政府」であり、奉行所に近いものである。……のだ … 続きを読む

日清戦争(1894)における島民の戦没者40余名のための施設。内外の揮毫に勝海舟、東郷平八郎、大山巌、吉田晩稼とやたらビックネームが集う他、天井には世界地図が描かれているという。 ここまでやってくれたら明治の人達も浮かば … 続きを読む

何故かこちらは北の防人大湊弐番館として市の交流センターとして活用されており綺麗に整備されている。

全国的にも大変貴重な石造りの旧軍官舎。現在は北の防人大湊壱番館として隣の同意匠の弐番館とともに整備されているが、何故かこちらだけ廃墟化しており市の情報でも活用の道が見えていない。 2025年5月には近隣の建物火災に巻き込 … 続きを読む

旧大湊ホテル。海軍の要人のためのホテルとして使われていた。

弘前の街中にしれっとあるやべーやつ。角三宮本呉服店として建てられ、大正期には銀行として使われた。後から銀行が使う珍しいケース。弘前市内最古の洋館で、現在は市立展示館として公開されている。

太宰治まなびの家として公開されている。太宰治が旧制弘前高校に通っていた3年間、下宿していた家である。当時の太宰は18-21歳。この間に太宰は芥川龍之介の自殺に大きなショックを受けたり、テスト前日にカルモチンを用いて初の自 … 続きを読む

北前船で財を成した豪商の邸宅。幕末から明治期にかけて増築された。公開施設。主屋は明治13年の大火の直後の竣工としている。 参考 公式サイト