No.00067弘前偕行社

偕行社は陸軍将校の社交場で、全国に数例残されている。こちらはかなり大きい建物であり価値は高い。堀江佐吉の遺作でもある。公開施設。
これまで訪れ、撮影した近代建築の記録です。理想のUIを求めて作りました。記事の訂正追記等は気軽にコメントしてください。メニューから様々な条件で検索することも可能です。

偕行社は陸軍将校の社交場で、全国に数例残されている。こちらはかなり大きい建物であり価値は高い。堀江佐吉の遺作でもある。公開施設。

弘前は第八師団を擁する軍都であった。竣工年は不明だが、これらは官舎と推測される。

老舗和菓子店。2024年に閉店している。奥には一戸時計店が見える。

詳細不明。モルタルの仕上げを変えてハーフティンバー調の梁を表現している

元は三原時計店。外観はかなりの改修をされてきているが、中は明治の蔵の作りになっている。現在は中土手町商店街振興組合などの施設となっている。 参考 中土手町商店街振興組合

弘前駅近く。妻面は漆喰壁と見せかけて煉瓦の窓枠のモダンなデザインで、切妻屋根の本棟から横に生える形で洋風のモルタル塗りの事務所棟がついている。

現在はホテルのレストランとして使われている。

企業としては現役。

明治初期の議事堂そのものが大変貴重だが、都道府県のものとなると全国で唯一である。府県会(今で言う県議会制)導入から数年しか経っていない時期の建物として高く評価されている。 現在は新潟県政資料館として公開されているが、20 … 続きを読む

現在非公開。これ程の大物にも関わらず痛みは激しく、予後が心配である。

詳しい場所は失念したが、移動中に偶然出会った個人住宅。 西大畑町の洋館。 2番町の辺り。

石油王清水常作の邸宅を北方文化博物館の館長伊藤文吉が大正初期に購入したもの。晩年の會津八一も起居していたという。

現在は安吾風の館として公開施設になっているが、能登半島地震以降休館している。ボヤ騒ぎを起こしたり色々ついてない。 参考 公式サイト

高級料亭。中は本当に凄いらしい。昭和12年に清水組が増築。

北前船で財を成した豪商の邸宅。幕末から明治期にかけて増築された。公開施設。主屋は明治13年の大火の直後の竣工としている。 参考 公式サイト

詳細不明。

明治30年代の竣工。(※システム上竣工年は明治30年としています) 新潟駅から歩いて行ける酒造。内部見学あり。