No.00116上原呉服店

窓には手すりがあったが金属供出以来ついていない。
これまで訪れ、撮影した近代建築の記録です。理想のUIを求めて作りました。記事の訂正追記等は気軽にコメントしてください。メニューから様々な条件で検索することも可能です。

窓には手すりがあったが金属供出以来ついていない。

乙徳兵衛町 油横丁 前町

2025年解体。黒石に3棟残る塔屋つきの消防屯所だった。

2度の移築を受けて現存している。どう見てもバランスが悪いが元の建物の2階、3階、塔屋の部分のみに減築した上で玄関ポーチを付けているので仕方ない。

温湯温泉の入口付近にある商店。戸袋のモルタル装飾が立派である。かつてはここに屋号が書かれていたと思われる。

廃業してしまったが建物は残っている。

内湯を持つので客舎ではなく旅館である。現役。温湯温泉の宿は戸袋にモルタルで装飾を施しているケースが多い。

かつては客舎併設だったが今は商店のみの営業である。

温湯温泉の超有名旅館。内湯が存在せず近くの共同温泉を利用する「客舎」という古のシステムは最早国内唯一のレベル。長期宿泊し、自炊して過ごすという太古の昔の湯治スタイルを今も続けている。建物は戊辰戦争の頃からあったものをほぼ … 続きを読む

現在は青森市中世の館の別館として使われている。どう考えたって昭和初期の鉄筋コンクリート造だが、驚くことに木造モルタルである。

現在は道の駅「なみおか アップルヒル」の一角にある。

地元名士、清藤盛美が9年の歳月をかけ築庭した。日本庭園、和洋折衷の独特な邸宅はともに高い評価を受けている。普通、和洋折衷は母屋と洋館に並列するか、内装の一部のみ和風(洋風)か、屋根だけ違うことが多いが縦にはっきり別れるの … 続きを読む

詳細不明。青森市浪岡に忽然と存在しており、青森県内でもかなり異彩を放つ存在感。

詳細不明の看板建築。重厚な軒蛇腹に左側の無秩序な増築が印象的。窓枠や上げ下げ窓の感じから昭和初期な気がする。

高谷英城(1885-1954 青森銀行頭取)の別邸。現在は高級料亭として活用中。敷居が高い。洋館、日本館など6棟の国登録有形文化財で構成されている。 公式サイト

東北最古のプロテスタント教会で、今の教会堂は3代目。施工の斉藤伊三郎は堀江佐吉の四男。

現在は家具屋として使われている。母屋は明治期、手前に見える洋館部分は昭和20年代の増築。

最新のストリートビューでもテナント募集中になっていて予後が心配である。

旧弘前市立図書館と隣接している。 設計施工は諸説あるが堀江佐吉説を採用している。 公開施設。

弘前と言えばコレという象徴的な建物。日露戦争勝利を記念した建物なので通風孔は陸軍の五芒星。中心ではなく、左に入口を設け、左の塔屋は階段棟にしている不思議な構成である。

弘前の近代建築における第一人者、堀江佐吉の晩年の集大成。

上瓦ヶ町 紺屋町

左右対称で、アール・デコの趣が強い印象的なデザインの建物。かなり目立つが詳細は不明である。音楽教室として使われているっぽいが、元の用途が分からない。病院系なのか、公民館なのか……

外観内装ともに唯一無二の独創性をもつ実業家藤田謙一の別邸。カフェとして使われている。

背の高い望楼が特徴。派出所と消防屯所が入居する施設だった。

軍都弘前に本拠地を置いた第八師団の長官舎。戦後は市長公舎として使われ、現在はスタバとして使われている。市長公舎になった際に建物の2/3は解体されているようだが、恐らく和館部分なのだろう。

消防団の屯所。そのためか望楼がついている。

詳細不明。戦前な気もするし戦後な気もする。

現在は青森県立弘前高校の鏡が丘記念館として保存されている。旧制中学校としては県内最古の現存例であり、大きかった校舎の一部のみが現在地に移築される形で残された。それでも大きい。ややアンバランスな大きな窓が素敵である。

どう見てもプレハブ小屋のKUMONにしか見えないが、よく見ると煉瓦の土台になっている。

戦後に発明されたブナの木の加工品「ブナコ」を扱う会社になっている。かなり縦長の施設であり、工場転用は理にかなっている。

偕行社の近くに並ぶ2棟の洋館。将校官舎と言われている。かつては11棟もあったという。 東奥日報

太宰治まなびの家として公開されている。太宰治が旧制弘前高校に通っていた3年間、下宿していた家である。当時の太宰は18-21歳。この間に太宰は芥川龍之介の自殺に大きなショックを受けたり、テスト前日にカルモチンを用いて初の自 … 続きを読む

偕行社は陸軍将校の社交場で、全国に数例残されている。こちらはかなり大きい建物であり価値は高い。堀江佐吉の遺作でもある。公開施設。

弘前は第八師団を擁する軍都であった。竣工年は不明だが、これらは官舎と推測される。

老舗和菓子店。2024年に閉店している。奥には一戸時計店が見える。

詳細不明。モルタルの仕上げを変えてハーフティンバー調の梁を表現している

元は三原時計店。外観はかなりの改修をされてきているが、中は明治の蔵の作りになっている。現在は中土手町商店街振興組合などの施設となっている。 参考 中土手町商店街振興組合

弘前駅近く。妻面は漆喰壁と見せかけて煉瓦の窓枠のモダンなデザインで、切妻屋根の本棟から横に生える形で洋風のモルタル塗りの事務所棟がついている。

現在はホテルのレストランとして使われている。

企業としては現役。

明治初期の議事堂そのものが大変貴重だが、都道府県のものとなると全国で唯一である。府県会(今で言う県議会制)導入から数年しか経っていない時期の建物として高く評価されている。 現在は新潟県政資料館として公開されているが、20 … 続きを読む

現在非公開。これ程の大物にも関わらず痛みは激しく、予後が心配である。

詳しい場所は失念したが、移動中に偶然出会った個人住宅。 西大畑町の洋館。 2番町の辺り。

石油王清水常作の邸宅を北方文化博物館の館長伊藤文吉が大正初期に購入したもの。晩年の會津八一も起居していたという。