No.00081旧第8師団長官舎

軍都弘前に本拠地を置いた第八師団の長官舎。戦後は市長公舎として使われ、現在はスタバとして使われている。市長公舎になった際に建物の2/3は解体されているようだが、恐らく和館部分なのだろう。
これまで訪れ、撮影した近代建築の記録です。理想のUIを求めて作りました。記事の訂正追記等は気軽にコメントしてください。メニューから様々な条件で検索することも可能です。

軍都弘前に本拠地を置いた第八師団の長官舎。戦後は市長公舎として使われ、現在はスタバとして使われている。市長公舎になった際に建物の2/3は解体されているようだが、恐らく和館部分なのだろう。

消防団の屯所。そのためか望楼がついている。

詳細不明。戦前な気もするし戦後な気もする。

現在は青森県立弘前高校の鏡が丘記念館として保存されている。旧制中学校としては県内最古の現存例であり、大きかった校舎の一部のみが現在地に移築される形で残された。それでも大きい。ややアンバランスな大きな窓が素敵である。

どう見てもプレハブ小屋のKUMONにしか見えないが、よく見ると煉瓦の土台になっている。

戦後に発明されたブナの木の加工品「ブナコ」を扱う会社になっている。かなり縦長の施設であり、工場転用は理にかなっている。

偕行社の近くに並ぶ2棟の洋館。将校官舎と言われている。かつては11棟もあったという。 東奥日報

太宰治まなびの家として公開されている。太宰治が旧制弘前高校に通っていた3年間、下宿していた家である。当時の太宰は18-21歳。この間に太宰は芥川龍之介の自殺に大きなショックを受けたり、テスト前日にカルモチンを用いて初の自 … 続きを読む

偕行社は陸軍将校の社交場で、全国に数例残されている。こちらはかなり大きい建物であり価値は高い。堀江佐吉の遺作でもある。公開施設。

弘前は第八師団を擁する軍都であった。竣工年は不明だが、これらは官舎と推測される。

老舗和菓子店。2024年に閉店している。奥には一戸時計店が見える。

詳細不明。モルタルの仕上げを変えてハーフティンバー調の梁を表現している

元は三原時計店。外観はかなりの改修をされてきているが、中は明治の蔵の作りになっている。現在は中土手町商店街振興組合などの施設となっている。 参考 中土手町商店街振興組合

弘前駅近く。妻面は漆喰壁と見せかけて煉瓦の窓枠のモダンなデザインで、切妻屋根の本棟から横に生える形で洋風のモルタル塗りの事務所棟がついている。

現在はホテルのレストランとして使われている。

企業としては現役。

明治初期の議事堂そのものが大変貴重だが、都道府県のものとなると全国で唯一である。府県会(今で言う県議会制)導入から数年しか経っていない時期の建物として高く評価されている。 現在は新潟県政資料館として公開されているが、20 … 続きを読む

現在非公開。これ程の大物にも関わらず痛みは激しく、予後が心配である。