No.00264武内酒造店

近隣にしか卸さない酒蔵。御所泉などで知られる。明治期の建物であり、明治11年(1878)の竣工。その後明治31年(1898)にも増築。
これまで訪れ、撮影した近代建築の記録です。理想のUIを求めて作りました。記事の訂正追記等は気軽にコメントしてください。メニューから様々な条件で検索することも可能です。

近隣にしか卸さない酒蔵。御所泉などで知られる。明治期の建物であり、明治11年(1878)の竣工。その後明治31年(1898)にも増築。

覆馬場とは、屋内型の馬教練場である。煉瓦の躯体に大きな切妻屋根を乗せ、壁面に段差状のバットレスをもつ陸軍の覆馬場は全国各地にあり(旭川、盛岡、弘前(解体済))、共通の設計図があったと思われる。

橋上から見ると普通の橋だが、側面を見るとなんと驚きのイギリス積みレンガアーチ。橋上は改修されつつもそれ以外は殆ど変わっていないのだろう。この橋を現存最古の道路用レンガ橋としている記事もあるが、現役の車道橋として東京都福生 … 続きを読む

煉瓦倉庫が続く。現在は金沢市民芸術村として使われている。建てられたのは1923-27年である。

金沢城の石垣にどデカく開けられた煉瓦トンネル。とにかく大きい。当然ながら石垣は貴重な文化財であり、現代の感覚では暴挙としか言えない大穴だが、当時は保護の感覚も薄かったのだろう。今では逆にこの穴が文化財になるのだから不思議 … 続きを読む

尾山神社創建当初の遺構。本殿など創建時の建物は伝統的な様式だったがこの玉垣だけは何故か煉瓦造であり、神門の布石だと言われている。 なお、公式サイトによるとこれが県内初の煉瓦使用例になるそうだ。

現在は金沢市立図書館別館として使われている煉瓦造の工場棟。

明治の高等教育機関は、明治19年(1886)の帝国大学令に基づき全国を五つの学区に分け、それぞれ一高(東京)、二高(仙台)、三高(京都)、四高(金沢)、五高(熊本)に「高等中学校」が設けられた。その後明治27年(1894 … 続きを読む

設計者はガーディナー説がある。

米を保管していた倉庫。

富野町の煉瓦蔵 品川町の煉瓦蔵 空襲が無かった点を加味しても弘前にはやたら煉瓦造の建物が残っている。

私設公会堂の跡地。残念ながら建物の古写真は見つからなかったが、煉瓦塀は今も残っている。

巨大な煉瓦倉庫だったが現在は弘前れんが倉庫美術館として活用されている。当然公開施設。 それにしても正面入口の壁が厚すぎてビックリする。 公式サイト

塔屋ではない平型の鐘楼がついているのが印象的である。

当初は5連の蔵だったが、戦災で2棟焼失している。初代諸戸清六の邸宅(国重文)の一部だがこちらは県指定文化財。六華宛は2代目清六の住宅で、初代清六の住宅は隣接しているが別のもの。原則公開していない。

帝国憲法下にかつてあった司法制度、控訴院は現在の高等裁判所にあたる。全国でも現存例は名古屋と札幌のみである。 虎に翼のロケ地として使われ、近年再び脚光を浴びている。 現在は名古屋市市政資料館として公開されている。 公式サ … 続きを読む