No.00075旧青森県尋常中学校本館

現在は青森県立弘前高校の鏡が丘記念館として保存されている。旧制中学校としては県内最古の現存例であり、大きかった校舎の一部のみが現在地に移築される形で残された。それでも大きい。ややアンバランスな大きな窓が素敵である。
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現在は青森県立弘前高校の鏡が丘記念館として保存されている。旧制中学校としては県内最古の現存例であり、大きかった校舎の一部のみが現在地に移築される形で残された。それでも大きい。ややアンバランスな大きな窓が素敵である。

現在は弘前三中の門として使われている。

どう見てもプレハブ小屋のKUMONにしか見えないが、よく見ると煉瓦の土台になっている。

戦後に発明されたブナの木の加工品「ブナコ」を扱う会社になっている。かなり縦長の施設であり、工場転用は理にかなっている。

米を保管していた倉庫。

敷地内に旧野砲兵第8連隊兵舎が残されている学校で今も運用されている。

偕行社の近くに並ぶ2棟の洋館。将校官舎と言われている。かつては11棟もあったという。 東奥日報

太宰治まなびの家として公開されている。太宰治が旧制弘前高校に通っていた3年間、下宿していた家である。当時の太宰は18-21歳。この間に太宰は芥川龍之介の自殺に大きなショックを受けたり、テスト前日にカルモチンを用いて初の自 … 続きを読む

偕行社は陸軍将校の社交場で、全国に数例残されている。こちらはかなり大きい建物であり価値は高い。堀江佐吉の遺作でもある。公開施設。

旧制弘前高校(現弘前大)の外国人宣教師館だった屋敷をカフェとして運用している。当然公開施設。

富野町の煉瓦蔵 品川町の煉瓦蔵 空襲が無かった点を加味しても弘前にはやたら煉瓦造の建物が残っている。

私設公会堂の跡地。残念ながら建物の古写真は見つからなかったが、煉瓦塀は今も残っている。

巨大な煉瓦倉庫だったが現在は弘前れんが倉庫美術館として活用されている。当然公開施設。 それにしても正面入口の壁が厚すぎてビックリする。 公式サイト

弘南鉄道大鰐線の終点駅。戦後の建物だが何とも言えない味がある空気で人気がある。2028年4月1日をもって大鰐線は廃止になるので駅舎も時間の問題かもしれない。

弘前は第八師団を擁する軍都であった。竣工年は不明だが、これらは官舎と推測される。

塔屋ではない平型の鐘楼がついているのが印象的である。

老舗和菓子店。2024年に閉店している。奥には一戸時計店が見える。

詳細不明。モルタルの仕上げを変えてハーフティンバー調の梁を表現している