No.00186兼松医院

写真は北側からの物しかないが、西側がギザギザしていて面白い。恐らく窓を増やして2面から明かりを採りたかったのだろう。モダニズムの影響を感じさせる。
これまで訪れ、撮影した近代建築の記録です。理想のUIを求めて作りました。記事の訂正追記等は気軽にコメントしてください。メニューから様々な条件で検索することも可能です。

写真は北側からの物しかないが、西側がギザギザしていて面白い。恐らく窓を増やして2面から明かりを採りたかったのだろう。モダニズムの影響を感じさせる。

浅野川に架かる全長54m幅16.5mの3連アーチ橋。観光地として名高いひがし茶屋街と市街地を結ぶ重要度の高い橋である。

右側の明らか戦後増築部分ができる前はどんな姿だったのだろうか。

角島家住宅店舗及び住宅の名称で国有形文化財に登録されている。モルタルと銅板貼りの背の高い建物。

竣工年は推定。

明治大火(1906)の翌年には再建されたとある。直江津銀行そのものは大正4年(1915)に解散したが海運業の高橋回漕店が土地と建物を取得し曳家によって現在に至る。銀行時代のカウンターや屋根の装飾、金庫と、高橋時代の瓦装飾 … 続きを読む

明治期の蔵をリノベした物件。

現在はレストランとして使われる公開施設。1910年に師団長に着任した長岡外史の指示で建設された洋風の大規模な官舎である。他の師団長官舎(弘前と豊橋)と比べデカ過ぎる。 下見板張り、スティックスタイル様式で内部は和洋折衷。 … 続きを読む

詳細不明。

現在は高田まちかど交流館として公開施設。

日本最古級の映画館。元は芝居小屋の高田座だったが、大正5年(1916)には映画館に転用、現在も上映を続ける。

詳細不明。

元は牛肉を扱う販売、洋食店であり内部には食堂が設けられていた。

クラウドファンディングでの再生を目指している旧医院。写真はクラファンで寄付した人への特典で内部見学をした時のもので、現在も整備は続く。 日本館の裏に西洋館が並ぶ。内部には貴賓室やステンドグラスなどがある。

7代続く医家。洋館の病棟部の他数件が国登録有形文化財が残る。

佐渡金山で取れた鉱石から金銀を抽出するための施設。日中戦争の影響で増産体制が敷かれ、1940年にピークを迎え、東洋一と謳われた。 現在は一部設備や躯体のみが遺された巨大な廃墟群と化しており佐渡のラピュタとも呼ばれている。

現相川文書館。使われているのか……?小規模ながら意匠は華やかで鉱山で栄えたことを物語っている。

現相川郷土博物館。撮影後に改修され綺麗になった。手前の棟は1887年に鉱山事務所として建てられ、後に後方に御料局佐渡支庁として1896年に増築された。 佐渡金山は明治時代は皇室領だったため、宮内省御料局が管理していた。そ … 続きを読む

現在はミニ映画館ガシマシネマとして使われている。古民家のリノベーション物件。 佐渡金山の歴史から家の年代(情報なし)を特定できないか試みたが、佐渡金山は平成元年まで細々と続いていることを知り諦めた。

現在は佐渡版画村美術館として公開施設。裁判所と聞くと民事裁判や刑事裁判のイメージが強いが、ここでいう裁判所とは、「明治新政府が戊辰戦争最中に天領(幕府直轄領)に新たに設けた行政府」であり、奉行所に近いものである。……のだ … 続きを読む

全国的にも珍しい文化財化した拘置所。刑務所(監獄)は色々あるが拘置所は珍しい。木造の拘置所(刑務所)という点でも大変貴重な存在である。無人だが公開施設。所定時間なら勝手にどうぞの状態。

日清戦争(1894)における島民の戦没者40余名のための施設。内外の揮毫に勝海舟、東郷平八郎、大山巌、吉田晩稼とやたらビックネームが集う他、天井には世界地図が描かれているという。 ここまでやってくれたら明治の人達も浮かば … 続きを読む

驚きの明治初期の官舎であり、現在も自衛隊駐屯地の敷地内にある。明治初期の旧軍現存施設とか他にあるのか……?設計は堀江佐吉とするブログもある。この角度では分からないが正面にはむくり屋根の入口や菊の御紋があったりする。青森県 … 続きを読む

2021年当時は修復中だった。

大湊要港部の艦船補給用水のために造られた、東北地方初の近代水道施設。明治末期に初事例な辺り、藩閥が幅を利かせた明治政府の東北地方への認識がアレだとしか言えない。 設計は海軍技師時代の桜井小太郎である。

旧海軍水交社。陸軍でいう所の偕行社にあたる組織だがいまいち知名度は低い。 それにしても大湊要港部は石造りに並々ならぬ拘りがある。

何故かこちらは北の防人大湊弐番館として市の交流センターとして活用されており綺麗に整備されている。

全国的にも大変貴重な石造りの旧軍官舎。現在は北の防人大湊壱番館として隣の同意匠の弐番館とともに整備されているが、何故かこちらだけ廃墟化しており市の情報でも活用の道が見えていない。 2025年5月には近隣の建物火災に巻き込 … 続きを読む

大湊の軍港を一望できる水源地公園の近くにある洋風住宅。竣工年不明だが、明治末期に大湊が軍港化したこと、周囲の官舎が大正初期なことからこの建物も大正初期と推定。

旧大湊ホテル。海軍の要人のためのホテルとして使われていた。

パラペットのモルタル文字は右から「大湊旅館」だと思われる。

田名部館跡の麓にある洋風建築。詳細不明。

繁殖厩舎。

育成厩舎。奥のマンサード屋根部分は戦後の増築。

競走馬を飼育していた老舗牧場。2006年に閉鎖されたものの、戦前〜戦後期に東京ダービーの優勝馬を輩出するなど本州の名門ファームだった。現在は金子ファームという畜産牧場になっている。 この建物は敷地内最古の施設で、茅葺き屋 … 続きを読む

八戸小学校講堂の撮影の際偶然見つけたもの。詳細不明だが大正〜昭和初期の建物と思われる。

現在は櫛引八幡宮の境内に移築され、明治記念館として公開されている。 明治天皇の行在所としても使われた当時最新の洋館で、下見板張り、色ガラス、オーダー装飾や軒蛇腹など見所は多い。 弘前の鏡ヶ丘記念館が県内最古のを謳っている … 続きを読む

詳細不明の看板建築

空襲や大火があった八戸では大変貴重な中心街の洋館。現在はレストランとして活用されている。

正面中央のガラス窓がインパクト抜群。