No.00336両備文化振興財団番町分室

旧松田家住宅。大正竣工のチューダー様式風の洋館。ドイツ屋根や切妻屋根を組み合わせた複雑な構成。
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旧松田家住宅。大正竣工のチューダー様式風の洋館。ドイツ屋根や切妻屋根を組み合わせた複雑な構成。

構内の奥の方に残る。旧制岡山医科大学の遺構。

岡山県立朝日高校の敷地内に残る木造の大きな柔道場。和の極地である柔道場を洋風の小屋組で仕上げるのは不思議だが当時の流行である。

現岡山県立岡山朝日高校の敷地に残る旧制六高の遺構。1枚目の右側が東書庫。隣接する西書庫は後年のものである。切妻屋根の桟瓦葺で外壁はモルタル。

京橋西橋詰め近くにある。創業天保8年(1837)の老舗企業で、藩主からも寵愛された。大手門の近くに店を構えていることから「大手まんぢゅう」の名をいただいたと伝わる。 切妻屋根に唐破風の玄関庇をもつ銅板張り。竣工年は不明だ … 続きを読む

後ろに見える岡山城西丸西手櫓も国重文。 岡山の近代建築の象徴的存在。岡山城、後楽園の玄関口にあたる城下筋にある木造の洋館。現在は雑居ビルのようになっており、自由に立ち入れる。急勾配で狭い階段に、木の軋みが聞こえ風情満点で … 続きを読む

個人邸としては違和感がある。元は病院だったりしないか。

現町家ゲストハウスあかつき屋の隣。切妻屋根とベイウィンドウが特徴。

金沢城に拠点を置いた第九師団のトップの官舎。師団は25000人規模でトップは中将が務めた。師団長官舎の現存例は、他には弘前、上越、豊橋、姫路、仙台、久留米がある。軍事施設とは思えない軽妙な印象を受けるハーフティンバー調で … 続きを読む

1891年竣工のものを戦後に移築している。L字型の平面は珍しい。

覆馬場とは、屋内型の馬教練場である。煉瓦の躯体に大きな切妻屋根を乗せ、壁面に段差状のバットレスをもつ陸軍の覆馬場は全国各地にあり(旭川、盛岡、弘前(解体済))、共通の設計図があったと思われる。

森本〜津幡駅間にある近代和風建築。大規模な金沢町家で妻面を大きく見せる。 現地で知ったが、八田與一の生家でもある。台湾に当時世界一の大きさだった烏山頭ダム(八田ダム)を建て、対戦期に台湾行きの客船が撃沈し殉職した悲劇の技 … 続きを読む

市内では恐らく唯一の木造小学校校舎。山奥にある。

右側の明らか戦後増築部分ができる前はどんな姿だったのだろうか。

現在はレストランとして使われる公開施設。1910年に師団長に着任した長岡外史の指示で建設された洋風の大規模な官舎である。他の師団長官舎(弘前と豊橋)と比べデカ過ぎる。 下見板張り、スティックスタイル様式で内部は和洋折衷。 … 続きを読む

7代続く医家。洋館の病棟部の他数件が国登録有形文化財が残る。

何故かこちらは北の防人大湊弐番館として市の交流センターとして活用されており綺麗に整備されている。

全国的にも大変貴重な石造りの旧軍官舎。現在は北の防人大湊壱番館として隣の同意匠の弐番館とともに整備されているが、何故かこちらだけ廃墟化しており市の情報でも活用の道が見えていない。 2025年5月には近隣の建物火災に巻き込 … 続きを読む

旧大湊ホテル。海軍の要人のためのホテルとして使われていた。

明治の遊郭の趣を伝える建物。この一帯は小中野新地があった。現在もやたら道幅の広い道路に名残が残っている。 新むつ旅館として営業しており当時宿泊しようと電話したが繋がらず、後に女将の体調不良と直後の逝去が分かった。現在は閉 … 続きを読む

現在は道の駅「なみおか アップルヒル」の一角にある。

軍都弘前に本拠地を置いた第八師団の長官舎。戦後は市長公舎として使われ、現在はスタバとして使われている。市長公舎になった際に建物の2/3は解体されているようだが、恐らく和館部分なのだろう。

詳細不明。戦前な気もするし戦後な気もする。

現在は青森県立弘前高校の鏡が丘記念館として保存されている。旧制中学校としては県内最古の現存例であり、大きかった校舎の一部のみが現在地に移築される形で残された。それでも大きい。ややアンバランスな大きな窓が素敵である。

平成9年の復元。 参考 公式サイト